◆平成27年 秋季展より   平成27年10月1日(木)~11月3日(火)

「ささやかな琳派展」

琳派の琳は、尾形光琳の名前からとられています。華麗で装飾的な画風を特徴とする流派ですが、狩野派や土佐派のように、家系によって継がれたのではなく、時代を超えた影響によって継がれた流派です。江戸時代の初期に、本阿弥光悦、俵屋宗達によって始められ、後に尾形光琳によって展開され、さらに江戸後期には、酒井抱一によって江戸で再び展開されます。
本阿弥光悦が京の郊外鷹峰に移住した元和元年(1615)を、琳派の始まりとすると、今年は四百年にあたりますので、それを記念して各地で琳派の展覧会が開かれています。
そこで当館でも、柏原家伝来品の中から琳派の屏風、掛軸、文献資料、約十五点を展示することにしました。
ただし、他の展覧会と比べて規模は小さいので、「ささやかな琳派展」と名付けた次第です。以下、展示予定品の中から三点を紹介します。

鶴図「伊年」印 ◯鶴図「伊年」印

「伊年」印が押されています。 この印は俵屋宗達の工房印と考えられています。
「伊年」印にも幾種類かありますが、この作品に押されたものは国宝「蓮池水禽図」(京都国立博物館所蔵)のものと同じと思われます。
鶴の姿は、明時代初期の画家文正が描いた「鳴鶴図」(承天閣美術館所蔵)の左幅の鶴をモデルにしています。
かなり忠実に似せていますが、首の羽毛表現、尾羽のたらしこみには宗達の特徴が表れています。

桜楓図 酒井抱一筆 ○桜楓図 酒井抱一筆

紅葉ではなく、青楓が桜と対になっているのは珍しいですが、光琳に屏風の作例があり、それに傚った抱一の屏風作品もあります。
それらの屏風作品は装飾的な画風ですが、この作品は描写的で、同時代の円山四条派に似た雰囲気があります。左幅では、橘千蔭賛にも「ややそめ(染め)かくる」とあるごとく、紅葉しかけている姿が描写されています。
落款の書体から、初期の作品であることが分かります。鈴木其一の「雨中桜花楓葉図」(静嘉堂文庫美術館所蔵)は、この作品が原型になっているようです。

  『義山草稿』 那波素順著  

○『義山草稿』 那波素順著


 尾形光琳の弟乾山は、派手好みの兄とは対照的な性格でした。父親の遺産を分割相続してから、仁和寺門前に建てた習静堂で、優雅な隠棲生活をしていました。
元禄三年(1690)九月二日に、直指庵の独照と月潭、そして那波素順が習静堂に招かれました。その時素順が作った詩が、素順の詩集『義山草稿』に記録されています。
素順は京で大名貸を営む那波九郎左衛門家の三代目ですが、剃髪して素順と名乗っていました。この頃、乾山は独照から「霊海」という道号を授けられました。
在俗の弟子で独照から道号を授けられたのは、乾山と素順、そして素順の長男祐英の三人だけでした。
その祐英が記した文芸活動の記録『蕉牕餘吟』にも乾山、そして光琳のことが記されていますので、それも展示する予定です。

◆平成27年 春季展より 平成27年4月1日(水)~5月5日(火)

「節句の人形と書画展」
五節句:桃の節句も過ぎ、端午の節句がもうすぐです。節句と言えば、現在では、このふたつですが、七夕も節句ですし、人日の節句、重陽の節句もあります。これらを合わせて、五節句と言います。
今回は、柏原家伝来品の中から、五節句に関する人形や書画を展示しました。あわせて、家財道具をミニチュアにした雛道具も展示しました。以下、展示品の中から九点を紹介します。

1.鳥居清長 風流十二時 卯 ◯人日(じんじつ)の節句

一月七日は人日の節句です。
古代の中国では、 この日、七種菜羹(しちしゅさいこう)と言って、七種類の野菜の羹(あつもの・スープ)を食べる風習がありました。それが日本に伝わり、七草粥に変化しました。

1の作品は、天明時代(1781~1789)に江戸で人気のあった浮世絵師、鳥居清長の版画です。
七草粥は、まだ暗い内に準備します。
まな板のうえで、七草をトントンと、シャモジでたたいて潰しています。
七草囃を唱えているはずです。

 

1.鳥居清長 風流十二時 卯

2.三井牧山(高就) 立雛図 ○上巳(じょうし)の節句

 三月三日は上巳の節句です。桃の節句とも言います。
現在のように雛人形を飾る祭りになったのは、江戸時代からです。
雛遊びは、それ以前からありましたが、それが上巳の節句の雛祭りとなる過程は、よく分かっていないようです。
この日に厄払いをする風習があり、それに使われていた人形から発展したとも考えられています。
立雛(たちびな)は、その面影を残しているのかも知れません。

2の立雛図は、三井家七代目の高就(たかなり)が、嘉永四年(1851)、六十六歳の時に描いたものです。高就の娘「涌(わく)」は、柏原家八代目に嫁いでいます。

3の女雛と4の官女は、江戸時代後期のもので、涌様か、九代目の奥様のものと思われます。

 

2.三井牧山(高就) 立雛図

3.女雛 江戸時代後期 4.官女
3.女雛 江戸時代後期  4.官女
  5.塩川文麟 兜に菖蒲図  

○端午の節句

 五月五日は端午の節句です。
古代中国では、この日、厄除けにヨモギの人形と菖蒲を飾る風習がありました。
それが日本に伝わりますが、次第に、武具が飾りに加わるようになります。菖蒲が「尚武(しょうぶ)」を連想させるためとも言われています。
さらに旗に鍾馗や鯉が描かれるようになり、江戸時代後期には、鯉のぼりが登場します。

5の作品には、菖蒲とヨモギの前に兜が描かれていて、兜には柏原家の家紋が入っています。

6は飾りの兜ですが、やはり柏原家の家紋が入っています。

6.飾り兜
6.飾り兜

 

5.塩川文麟 兜に菖蒲図

  7.横山華山 七夕図  

 ○七夕(しちせき・たなばた)の節句
 
 七月七日は七夕の節句です。
古代中国では、この日、機織(はたおり)と裁縫の上達を、彦星と織姫星に祈る風習がありました。
それが日本に伝わり、機織と裁縫だけでなく、諸芸の上達を祈るようになりました。

7の七夕図は、江戸時代の終り頃の京都で活躍した、横山華山の作品です。娘が梶の葉に重ねた紙に、書の上達を願って字を書いています。
書き上げたものは、後ろの童子が持っている笹に飾られるはずです。

 

7.横山華山 七夕図

  8.伊藤仁斎 菊花詩  

 ○重陽(ちょうよう)の節句
 
 九月九日は重陽の節句です。
古代の中国では、この日、菊花の酒を飲む風習がありました。それが日本に伝わり、平安時代の宮中では、この日、菊花の宴が行われ、江戸時代には、この日、江戸城に登城した大名たちが、菊酒で祝いました。菊酒の風習は、一般には普及しなかったようですが、文人たちが、この日に、菊の詩を詠むことは行われていました。

8の書は、江戸時代の京都の儒学者、伊藤仁斎が、元禄六年(1693)に、自作の菊の詩を書いたものです。
ただし、重陽の日の作ではありません。
題にある「応令」とは、日光の御門主の命で詠んだ詩ということです。

 

8.伊藤仁斎 菊花詩