◇平成29年 秋季展より  平成10月1日(日)~11月3日(金)「月曜日は休館です。但し、祝日は開館します。」

「江戸店持京商人 柏屋」
柏原家は正保二年(1645)に柏屋を創業したといわれ、現在当主は十二代目柏原孫左衛門。
元禄年間の頃、江戸店持京商人となる。柏原家に伝わった古文書や諸道具類など約二十点を展示。又、江戸時代収集した貴重な浮世絵・掛軸など約十五点を展示。

作 谷文晁  人物花鳥押絵貼屏風 紙本墨画 6曲一双    
作 谷文晁  人物花鳥押絵貼屏風 紙本墨画  6曲一双  
 
作 歌川広重  江都勝景 大橋中洲之図   作 宋紫石  雪中花鳥図 絹本着色 一幅
作 歌川広重  江都勝景 大橋中洲之図 作 宋紫石  雪中花鳥図 絹本着色 一幅
 
柏屋 「のれん」   柏屋 「のれん」
一般的な「丸に三つ柏」紋は、柏の葉脈が4本である。
柏原家の「丸に三つ柏」紋は、柏の葉脈が3本である。
柏屋 「のれん」
 
倹約令   倹約令
柏原家で出された倹約令は合計11回を数えるが、最初に出されたのは寛政九年(1797)七代目正寛から慶應四年(1868)九代目淨真までの七十一年間である。

内容については、店のものは食事、風呂等の制限から役料在勤者の給銀の半減に至るまでの節約を強いる反面、主家筋も食事から衣類、交際費等の制限、その他普請の停止、交際費の節減等広きにわたっており、上下が心をあわせて苦難を乗り切って行った。
倹約令
 
大福帳 「店入用帳」(たなにゅうようちょう)   大福帳 「店入用帳」(たなにゅうようちょう)
嘉永七年(1854)~安政五年(1858)店内経費の帳簿
大福帳 「店入用帳」(たなにゅうようちょう)
 
柏屋の諸道具   1階 展示場
柏屋の諸道具 1階 展示場
 
◇平成29年 春季展より  平成29年4月1日(土)~5月5日(金)

「北三井家ゆかりの品々展」

1 地黒綸子千羽鶴 打掛 2 西王母 打掛   北三井家六代目高祐(たかすけ)の娘・酉(ゆう)は柏原家と関係の深い那波九郎左衛門家に嫁いでいました。その酉(ゆう)が亡くなると、柏原家八代目の妻・涌(わく)に、形見分けとして、二領の打掛が贈られて来ました。
その記録には、「地黒綸子千羽鶴」・「西王母」と模様が記されていて、1・2に該当すると思われます。
涌(わく)はかなり年下ですが、酉(ゆう)の従妹にあたります。
また、涌(わく)の夫・柏原家八代目・祐真は那波家からの養子で、実母は酉(ゆう)でした。
1 地黒綸子千羽鶴 打掛 2 西王母 打掛
 
3 呉春筆 鶴 絹本着色 3 呉春筆 寿老 絹本着色 3 呉春筆 亀 絹本着色   文政七年(1824)二月の江戸の火事で、三井家の江戸駿河町店が類焼しました。その時、柏原家の江戸本町店から多数の者が手伝いに出ました。同じ年の十二月、「則兵衛」から「御挨拶」(お礼)として「呉春三幅対」が贈られてきました。
「則兵衛」とは北三井家六代目・高祐(たかすけ)で、彼は呉春のパトロンでした。柏原家に伝来している呉春の作品のうち三幅対はこの一点だけですので、これが則兵衛から贈られたものと思われます。
3 呉春筆 寿老・鶴・亀 絹本着色
 
4 三井高祐筆 東方朔 絹本着色   作者の高祐(たかすけ)は北三井家六代目です。絵を円山応挙、あるいはその息子の応瑞に学んだといわれていますが、素人の域を超えています。
この作品も、衣紋線が濃いほかは、ほとんど応挙風です。描かれているのは東方朔です。前漢時代に実在した人物ですが、後世に、西王母から桃を盗んだという話が作られました。 描かれているのは、桃を盗んで逃げている姿です。
西王母の桃は長寿のシンボルですので、このような東方朔の姿もめでたいものとされています。
4 三井高祐筆 東方朔 絹本着色
 
5 三井高就筆・大典和尚賛 馬追 紙本墨画   作者は北三井家七代目・高就(たかなり)です。落款には「牧山」とありますが、これは高就の号の一つです。
賛は、高就と親交のあった大徳寺の大典(だいてん)和尚が書いています。絵も賛も写しで、原作は、絵が松花堂昭乗、賛は沢庵和尚です。
その原作は、古くから茶人の間では有名で、現在は根津美術館に所蔵されています。
5 三井高就筆・大典和尚賛 馬追 紙本墨画
 
6 三井高福筆 松上鶴 絹本着色   作者の高福(たかよし)は北三井家八代目です。三井家が豪商から財閥への変貌する道筋をつけたと評価されますが、『平安人物志』の文雅の部に載るほど、諸芸にも通じていました。絵は円山応挙の孫にあたる応震などに学びました。
この応挙風の絵にも明らかなように、素人の域を超えていて、諸方から依頼を受けて制作していたことも知られています。
6 三井高福筆 松上鶴 絹本着色
 
7 三井高福筆 うさぎ 紙本淡彩   落款には「高俶」(たかよし)とありますが、高福は一時、「俶」の字を使っていました。
この作品は乙卯(きのとう)、安政二年(1855)の年初に、ウサギ年にちなんで描いたものです。
六十年後の乙卯(きのとう)の大正四年(1915)に、高福の息子で、北三井家十代目・高棟(たかみね)が箱書をしています。
7 三井高福筆 うさぎ 紙本淡彩
 
8 三井喜野 枝もみじ 絹本着色   作者の喜野(甲・きの)は北三井家八代目・高福(たかよし)の娘で、柏原家九代目・浄真の妻・賢(かた)の姉にあたります。小石川三井家の養女となり、その後、新町三井家八代目・高辰(たかとき)に嫁ぎました。
この作品は、喜野(きの)が米寿を迎えた昭和三年に、賢(かた)に送られたものです。
絵は二十年程前の作品であることを、喜野が箱書に記しています。
8 三井喜野 枝もみじ 絹本着色
 
9 有筆 涌宛書簡   北三井家七代目・髙就(たかなり)の娘・有(ゆう)は、大坂の辰巳屋清兵衛に嫁いでいました。彼女が、姉にあたる柏原家八代目の妻・涌(わく)に宛てた手紙です。
丁寧な文体ですばやく書かれ、かなりの長文ですが、書き損じや書き直しはありません。
木版で山水図が刷られた用紙が使われています。
9 有筆 涌宛書簡
 
10 西川祐信筆『絵本桓衣草』(部分)   柏原家伝来の西川祐信(にしかわ・すけのぶ)の絵本『絵本桓衣草』(えほん・しのぶぐさ)・『絵本花の鏡』(えほん・はなのかがみ)には、書入れがあります。『絵本桓衣草』の表紙には貼紙があり、「透玄院様書入れ」と記されています。
この「透玄院」は北三井家五代目・高清(たかきよ)のことです。
その書入れに、歌舞伎の女形役者・山科甚吉(やましな・じんきち)の名前が出てきます。
高清が贔屓にしていたのではと思われます。
10 西川祐信筆『絵本桓衣草』(部分)
 
11 春宵堂商標帖 11 春宵堂商標帖   女形役者・山科甚吉(やましな・じんきち)は建仁寺近くに化粧品・薬品を扱う春宵堂(しゅんしょうどう)という店を持っていました。
その店の商標の切抜きと写しを、それぞれ帖に仕立てたものが伝来しています。写しと伝えられているものをよく見ると、その筆使いは写しではなく、下絵ではないかと思われます。
そしてその作者は、山科甚吉を贔屓にしていたらしい高清の可能性があります。
絵は円山応挙風ですが、高清は応挙のパトロンで、自ら絵を描いたことが知られています。
11 春宵堂商標帖