「狩野派と合わせ貝」
狩野派(かのうは)は、室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、室町時代中期から江戸時代末期まで、約400年の長期にわたって常に画壇の中心であった画家集団である。
松栄直信(しょうえい なおのぶ)永正16年〜天正20年(1519〜1592)
宗家二代目狩野元信の三男であるが、ふたりの兄が早世したため家督を継いだ。
寿石敦信(じゅせき あつのぶ)寛永16年〜享保3年(1639〜1718)
江戸前・中期の絵師。父は狩野素川信政、浅草猿屋町代地狩野家を継いだ。
常川幸信(じょうせん ゆきのぶ)享保2年〜明和7年(1717〜1770)
狩野随川甫信の次男。狩野岑信を祖とする浜町狩野家の3代目を継承した。
探索守照(たんさく もりてる)享保14年〜寛政9年(1729〜1797)
江戸時代中期の絵師。祖父は狩野探幽門人四天王のひとり鶴沢探山、鶴沢派の3代目。
素川章信(そせん あきのぶ)明和2年〜文政9年(1765〜1826)
江戸後期の狩野派の絵師。浅草猿屋町代地狩野家の5代目を継いだ。
合わせ貝は、内側を蒔絵や金箔で装飾されたハマグリの貝殻を使用する。ハマグリなどの二枚貝は、対となる貝殻としか組み合わせることができないので、対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴として、公家や大名家の嫁入り道具の美しい貝桶や貝が作られた。 |