◇令和4年 春季展より 令和4年4月1日(金)~5月5日(木)午前10時~午後4時(最終受付午後3時45分) 月曜休館 但し祝日は開館 | |||
江戸時代の美人画と婚礼調度品 |
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一階展示の様子 | |||
二階の展示の様子 | 合わせ貝 | ||
絵1-2 円山応挙 倭美人(部分) | 顔部分拡大 | ||
戦前から展覧会に出品されたり、雑誌に紹介されていて、よく知られた作品です。応挙が同時代の町娘を描いた美人画として珍しいものです。 艶っぽさの少なさが批判されることもありますが、”美人画”の立場がやや微妙な現在、かえって新鮮に見えてきます。 |
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絵1-3 鳥文斎栄之 立美人(部分) | 頭部拡大 | ||
鈴木春信から鳥居清長へと発展した細身化傾向は、鳥文斎栄之に受け継がれ頂点に達します。その上、この絵では、最高に発達した兵庫髷が誇張されて表されていて、まさに浮世絵界のマニエリスト栄之の美人画。前髪に注目。実は、パンクのヘアスタイルの始まりは吉原の花魁であったのか。 | |||
絵1-5 清原雪信 孟母 | 頭部拡大 | ||
孟子の母は、機織りの布と断って、学問を途中でやめる愚かさを、息子の孟子に教えたといいます。雪信は女流画家。もう若くない女性をどう表すか、 興味あるところ。目じりのしわ、ほうれい線など、現在からみれば、やや老けすぎですが、気品を失わない表現はさすが雪信。 |
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絵2-11 伝 墨江武禅 | 頭部拡大 | ||
落款はありません。三首の歌を書き、「墨江斎太武禅筆」と書いた箱書が、武禅自筆ではないかともいわれているので、箱蓋も展示しました。武禅は応挙より一歳若いだけですが、雰囲気はまるで違います。師の月岡雪鼎の美人が円熟した感じです。この作品は当館関係者の所蔵品。 | |||
絵2-7 三畠上龍 秋美人(春秋美人の内) | 頭部拡大 | ||
上龍は四条派の画家岡本豊彦の弟子です。着物の模様や、背景の紅葉の描写には、四条派の画家であることがうかがえます。太い眉やリアルな目は、祇園井特の美人を思い出させます。青緑の下唇は、笹紅(ささべに)と呼ばれ、江戸時代後期に流行りました。良質の紅を薄く塗り重ねるとこのような色になるそうです。この作品は表装していないマクリの状態で、今回が初公開。 | |||
◇ 令和4年 秋季展「龍虎図と婚礼調度展」
令和4年10月1日(土)~11月3日(木)午前10時~午後4時(最終受付午後3時45分) 今回は龍虎図をテーマにして、狩野章信筆の龍図、宋紫石筆の虎図の六曲一双屏風二点と、円山応挙筆、岸竹堂筆などの龍虎図掛軸四点を展示しました。他に、子供が描かれた絵を小テーマにして、伝土佐光起筆絵巻二巻、西川祐信の絵本五冊、歌川国貞と渓斎英泉の浮世絵版画八点、そして竹久夢二の挿絵の入った少年雑誌『日本少年』十二冊を展示しました。 婚礼調度は、厨子棚と黒棚を中心にして展示し、御好評をいただいている貝合わせは、少し趣向を変えて合わせ貝を並べ、貝桶は、八代目か九代目の主人に嫁いで来られた方のものと思われるものを展示しました。 |
宋紫石 虎図屏風
六曲一双屏風の両隻とも虎図です。右隻は、中国人画家・沈南蘋の龍虎図の虎図に依っていて、獰猛な姿ですが、左隻の虎たちは穏やかな姿です。特に、右側の姿は珍しく、股間からあごの裏を見ているように描かれています。このような姿の先例は、当然、沈南蘋と彼の弟子たちの作品にありそうですが、まだ見つかっていません。
円山応挙筆 虎図
後足で耳の裏をかいています。このような姿は、鳥獣戯画の獅子にも見られ、かなり古くから成立していました。後ろ足を地面に下せば、応挙の虎の基本形のひとつとなります。その姿の作例は多いですが、この作品ほどリラックスした虎はないでしょう。虎につきものの風や竹は、もはやなく、野性味もなく、毛皮は洗い立てのように清々しく、芝生のような草地は、子犬たちがじゃれ合っていても不思議ではありません。
岸竹堂 虎図
虎の絵を描いていた竹堂は、「虎がにらみよる」と言って、頭がおかしくなったことがあるそうです。その時の絵は知られていますが、写実的で真面目な絵で、怪しげな雰囲気はまったくありません。この作品の虎は、一見、虎には見えません。正面向きで、我々を威嚇するわけでもなく、怪しげな雰囲気を漂わせ、もはやモノノケの世界の動物です。
渓斎英泉 廓の四季志 吉原要事
英泉は花魁図を得意にしました。現在の我々から見ると、英泉の花魁は、姿勢以外は一様に見えますが、衣装に注目すると、変化が激しいのに気づきます。花魁の衣装は派手で、龍や虎も模様になりますが、この作品では、東洋の龍ではなく、羽根のある西洋のドラゴンが表現されています。
渓斎英泉 岡本屋内 重岡
今回の展示では、小テーマとして、子供が描かれた作品をいくつか展示しています。この花魁図でも両脇の禿(かむろ)の姿に注目したいのですが、彼女たちは、衣装の模様に埋没しています。英泉の花魁図でも、この栄久堂が版元のシリーズは、衣装模様の表現に優れています。中でもこの作品は、もはやサイケデリックアートです。
竹久夢二 雑誌『日本少年』明治45年(大正元年)8月号挿絵
竹久夢二は挿絵画家として出発しました。今回は、明治45年(大正元年)8月号から大正2年7月に出版された少年雑誌『日本少年』を展示しました。それらに載る夢二の挿絵は、一緒に掲載されている他の画家の挿絵と比べて、古臭さを感じさせません。特に、二色刷りのものは新鮮さを失っていません。まるで初期浮世絵の紅摺絵のようで、浮世絵師を自認していた夢二にふさわしいものです。